AS,ADHDいろいろ抱えながら暮らす。
2010
相手を遣り込めなければ気が済まないのはなぜだろう。
ぐうの音も出ないほど、相手の間違いを指摘し、批判し、追いつめる。
その目的は、私の場合は「保身」のためだった。
そうしなければ、安心できないのだ。
いつも「間違っている」「おまえはだめだ」と言われ続けた時、
あるいは、自分が守りたくない、社会規範が目の前に広がり、
行く手を阻んでいる時、
「あなただって」と、相手の間違いを、不備を、綻びを指摘し、
溜飲を下げるということをした。
自分の保身のために、相手を批判し、罵倒する。
自分の我を通すために、相手を批判し、罵倒する。
相手を批判しなくても、自分の尊厳を守れる。
相手を罵倒しなくても、自分の意識を守る方法はある。
先の芸術家の先生も、綻びを指摘されることを怖れ、
ご自身の地位、権威を使って綻びに修正をかけて対面を保とうとする。
廻りには、そのロジックに無理があることは見え見えなんだけれども、
それをしてしまう悲しい性。かえって白い目で見られることに、
気付かないでいる悲しさ。
権威を持ったものの責任とは、どこにあるのだろうか。
権威は、自分の対面を保つために使われてはならないだろうけれど、
使ってしまうのが発達障害なのだろう。
そして、そんな情けない状態を目にしてしまった時、
その情けなさを指摘しては、ミイラ取りがミイラになる。
まわりはそっと見守るしかないのだ。
___牽引力があり、魅力ある発想をするが、
社会のニーズから離れ、自分の虚栄的な価値観に固執してしまう、
お金が妙にかかる虚栄的な方法論に固執して、運営を成り立たなくさせて
しまうNPOのボス、イベント前だと、過度な緊張のためか、不安のためか、
シングルフォーカスになってしまい、わけわからないこと(被害妄想)を
言募る芸術家。
そういう人の周囲で動いている人の話を聞いていると、とても寛容である
ことが多い。仕方がないですね、そうしたいのなら、させてあげましょう
と、受容的であることが多い。
そのように暖かい視線で支えられているのを知ると、
こちらもじわっと暖かい気持ちが込み上げてくるし、
わたしもそのように、他者の癖に距離を置き、
そして認めながら付き合うことを目指したいと願う。
すると、心が落ち着いて、息がつけるということがわかった。
怒りのぶつけ合いは苦しい。放った後、ほとんど脱力して体内のエネルギーが
不活化する感じがする。その不活化のエネルギーを作るのは、
ほんとうにしなければならない仕事から逃げるためだったりする。
自分の先延ばし癖をどう処理するか。
ぐうの音も出ないほど、相手の間違いを指摘し、批判し、追いつめる。
その目的は、私の場合は「保身」のためだった。
そうしなければ、安心できないのだ。
いつも「間違っている」「おまえはだめだ」と言われ続けた時、
あるいは、自分が守りたくない、社会規範が目の前に広がり、
行く手を阻んでいる時、
「あなただって」と、相手の間違いを、不備を、綻びを指摘し、
溜飲を下げるということをした。
自分の保身のために、相手を批判し、罵倒する。
自分の我を通すために、相手を批判し、罵倒する。
相手を批判しなくても、自分の尊厳を守れる。
相手を罵倒しなくても、自分の意識を守る方法はある。
先の芸術家の先生も、綻びを指摘されることを怖れ、
ご自身の地位、権威を使って綻びに修正をかけて対面を保とうとする。
廻りには、そのロジックに無理があることは見え見えなんだけれども、
それをしてしまう悲しい性。かえって白い目で見られることに、
気付かないでいる悲しさ。
権威を持ったものの責任とは、どこにあるのだろうか。
権威は、自分の対面を保つために使われてはならないだろうけれど、
使ってしまうのが発達障害なのだろう。
そして、そんな情けない状態を目にしてしまった時、
その情けなさを指摘しては、ミイラ取りがミイラになる。
まわりはそっと見守るしかないのだ。
___牽引力があり、魅力ある発想をするが、
社会のニーズから離れ、自分の虚栄的な価値観に固執してしまう、
お金が妙にかかる虚栄的な方法論に固執して、運営を成り立たなくさせて
しまうNPOのボス、イベント前だと、過度な緊張のためか、不安のためか、
シングルフォーカスになってしまい、わけわからないこと(被害妄想)を
言募る芸術家。
そういう人の周囲で動いている人の話を聞いていると、とても寛容である
ことが多い。仕方がないですね、そうしたいのなら、させてあげましょう
と、受容的であることが多い。
そのように暖かい視線で支えられているのを知ると、
こちらもじわっと暖かい気持ちが込み上げてくるし、
わたしもそのように、他者の癖に距離を置き、
そして認めながら付き合うことを目指したいと願う。
すると、心が落ち着いて、息がつけるということがわかった。
怒りのぶつけ合いは苦しい。放った後、ほとんど脱力して体内のエネルギーが
不活化する感じがする。その不活化のエネルギーを作るのは、
ほんとうにしなければならない仕事から逃げるためだったりする。
自分の先延ばし癖をどう処理するか。
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2010
外部からの攻撃。
あるサークルのための、MLを作った。ボスはある芸術家である。
MLを作る前段階で、トラブルが起きた。
MLがまだ整備できてない時に、挨拶文を流したいとボスは言った。
しかし、まだメンバーは心身ともに準備ができていないので、
挨拶は時期尚早だった。
その旨伝えると、収集したメールアドレスを流用するつもりかと来た。
その後あれこれの脅し文句が並び、折れるまで言い募る。
しかし、そこで持ちこたえてしまう私も問題だと思った。
変な文章でも、矛盾した内容であっても、それを書いたことで人心が離れようと、書かせれば良いのだ。私が恥をかくわけでもないし、私の人気が落ちるわけでもない。
メールアドレスの流用は、流石に言い過ぎたと思ったのか、「外部からの攻撃」を怖れてのことだとか、つじつまの合わないことをなにかかやといっていた。ほら、僕の言った危険が、迫ってきただろう!!と言うのだけれど、実際の所、危険など何もない。(スパムが少々届くのが___実際には一通も届いていないのだが__いったいどれくらい危険だというのだろう。)
その後にも「外部からの攻撃」といったようなことを言うので、一体なんのことかと、皆いぶかしがって首を捻る。ヤンバル先生の所で、あれこれ読んでいなかったなら、私も真っ向からぶつかるか、ストレスに呵まれていたろうと思う。いや、触れているだけで、とても遣り切れない気分になることは確かだけれど。
外部からの攻撃を怖れる?___きっと被害的な人なのだろう。そう思っておけば、
実際はどうかわからないけれど、こちらの気は楽だし、苛立ちもしない。こちらが責められているような、ミスを犯したような気にもならずに済む。
あぁ、失礼、僕も・私もおかしなことをしちゃったかな、といったような、気楽に自分の過ちを認め(自分を許し)、周囲の苛立ちを解くといったこともない。頑なにぶつかり合うエネルギー。かつてずいぶん消耗していた。間違いが絶対に許せないのだ。他人のは勿論、自分さえも許さない。間違えた自分を認めてやらない。
現実と、自分で作り上げる我が身の虚像が食い違っていき、人とも自分とも離れていく。気をつけなければならない。綻びを取り繕い続けるのを、いつまでも続けてはいられない。
いずれにしても、何をどう考えるかは自由なのだから。
外部から攻撃があると考えるのも良しと考えた方がよさそうだ。
その人の生きる世界なのだから。
2010
ずっと更新していない。書くと、自分の弱さをさらけ出して、そして、それは常に言い訳に終始するような気がして書けないでいる。
この頃、幾人かの芸術家の方と交流がある。それで、相変わらず私は、あぁ、このヒトは、発達障害なんだな。ジャイアンタイプなんだな、などと分類して安心を得たり、距離を置いたり、腹を立てたり、うんざりしたり、がっかりしたりしている。
がっかりするというのは、期待しすぎているからであり、それは私の問題で、腹を立てるというのも同じだと思っている。
一番困るのは、遣り切れないという感情。
:
わたしの属するあるコミュニティでは、ある芸術家の活動を盛り上げるためのサークルが立ち上がり、私も世話人の一人に任命されて、多くの方とご一緒している。
それで、こういう活動のコアメンバーに入ってしまう人というのは、よくよく見るととてもAC的で、自分のことを振り捨てて入れ込み過ぎて、その上思うように他人が立ち働かないことに苛立ち、コントロールするかのように「調整」し、自分と、自分が信頼するコアメンバーの主義に合わない他の人の考えを変えるために説得してかかる。
説得されるというのは、けっこうストレスがかかるものだなと知った(私も、似たようなことをしているのかもしれないと思うとぞっとする)。そしてまた、私もコアメンバーに入っているということは、やはり私もAC的で、自分のことよりも、人の為に懸命に働いてしまう気質が人にも伝わっている故だと自戒し、なるべく冷静に、冷静にと働くことを心がけるが、ともすると自分の人生の言い訳のように他人の活動に入れ込んでいて、嘆息することがある。
人付き合いをする、頼まれ仕事をするということは、自分への言い訳を作るだけで、何もならないことがある。他人の仕事をするときは、自分の仕事を終えて〜にしなければならない。
しかし、世間はそんな事情は知らないから、その力強い推進力を買われて、ある方はコアメンバーをやっている。その方は、自分の趣味の会でも先生の世話係として生きていて、他人のために生きているように見える。才能がある方なのに、人の影で生きている姿を惜しいと感じてしまう。しかしそれはその方の問題であり、私の問題ではないから、時に「惜しい」と漏らすことはあっても、それ以上は言わないようにつとめる。彼女にとっては、今はそうする必要があってしていることなのかもしれない。自分一人で立つというのは、実に勇気のいるものだから、誰かの助手でいることは、力の無い時にはいい形なのかもしれない。
いずれ、助手でいることが息苦しくなったなら、独立すればいいのだから。こうして、意識しないと私は干渉しようとしてしまう。私の脳は管理の必要がある。
:
対象になっている芸術家の方はというと。
これがまたたいへん自分に似ていて、見るに耐えない。
あちこちが綻びている。
その方は、大きな仕事をしてこられた方で、数年前、体(仕事に使う部分)を壊して大きな手術をなさった。その後、元の地位には戻らず、別の形で復帰をなさろうとしている。
復帰の過程でその先生と知り合った私は、個人的にメールなどを交わすようになり、恐ろしい程些細なことに揺れ動いているのを見ることになった。
ある時は機嫌が良く、ある時は不機嫌で尊大になり、ある時は自らを矮小化させ、突然被害妄想を起こし、手のひらを返したように私を攻撃し、「そんなことはない」と私が言い切るまで、あれこれと言ってこられる。
自分に対する評価を事の他気にし、突然「自分は、既に○○には属していません___」といって来られたりする。ということは、○○には属していないが、それでも貴方は自分をそのように素晴らしいと評価するか?と私に訊ねるか、試しているのだろう。確信を得たいのか。
○○には属していないなんて、何年も前から知っている。二年前も、一緒に写真を撮っているし、去年も、つい数ヶ月前も、つい先月も、つい数日前も、会って話しをしている。
しかし、私がいくら言葉を尽くして「あなたは月光の如く素晴らしい芸術を行う。他に類を見ない」と言った所で、なんになるだろう?
私は、芸術家としての輝かしいキャリアも、何もない。
たとえあったとして、どうだろう。
誰かの賛美に依ってしか、自分を定めることができないというのは、なんと暴力的なループに嵌ってしまうことだろうか。
自ら自分を愛し、信じることができなければ、その恐ろしく苦渋に満ちたループから逃れられないだろう。そのループは、不安と混乱、安寧を求める為の欺瞞の間で、自分を信頼するものを裏切り、自分を欺き、綻びを取り繕うのに忙しいだけで、何もかもが闇でしかない。
綻びだらけの衣類を引きずる姿を見せつけられるようで、見ていて遣り切れない。自分も多かれ少なかれ、これに近いのだから。しかし、彼が描き出す芸術は光に満ちている。美しい。
わたしは、その煌びやかなガウンの下の綻びを見てしまっても、それと指摘してはいけないのだ。本人がそれでいいといっているのだから。それでいい。
しかし、病というのは恐ろしい。いつか、やんばる先生が、ジャイアンは(あるいはASは?)自分で病を作って身体症状を悪化させるとどこかに書いておられたが、当時はなんのことか実感がわかなかった。それは、こういうことだったのかもしれないと、腑に落ちた。理解への時間が、私はとても長くかかる。
病は、明確な形となって本人の希望を叶える。
自分は、もう仕事はできない。できそうもないのだ、という我が身への明確な不信。それが顕在化したのが、重い病気という結果なのかもしれない。
怖いと感じるのは、その方がかかった病は、それにかかると今の仕事ができなくなる。致命的な病だということで、一つ去った時点で、二つ目に襲われていることだ。自分で作ってしまうとは、こういうことなのかもしれない。
究極の逃避。
この頃、幾人かの芸術家の方と交流がある。それで、相変わらず私は、あぁ、このヒトは、発達障害なんだな。ジャイアンタイプなんだな、などと分類して安心を得たり、距離を置いたり、腹を立てたり、うんざりしたり、がっかりしたりしている。
がっかりするというのは、期待しすぎているからであり、それは私の問題で、腹を立てるというのも同じだと思っている。
一番困るのは、遣り切れないという感情。
:
わたしの属するあるコミュニティでは、ある芸術家の活動を盛り上げるためのサークルが立ち上がり、私も世話人の一人に任命されて、多くの方とご一緒している。
それで、こういう活動のコアメンバーに入ってしまう人というのは、よくよく見るととてもAC的で、自分のことを振り捨てて入れ込み過ぎて、その上思うように他人が立ち働かないことに苛立ち、コントロールするかのように「調整」し、自分と、自分が信頼するコアメンバーの主義に合わない他の人の考えを変えるために説得してかかる。
説得されるというのは、けっこうストレスがかかるものだなと知った(私も、似たようなことをしているのかもしれないと思うとぞっとする)。そしてまた、私もコアメンバーに入っているということは、やはり私もAC的で、自分のことよりも、人の為に懸命に働いてしまう気質が人にも伝わっている故だと自戒し、なるべく冷静に、冷静にと働くことを心がけるが、ともすると自分の人生の言い訳のように他人の活動に入れ込んでいて、嘆息することがある。
人付き合いをする、頼まれ仕事をするということは、自分への言い訳を作るだけで、何もならないことがある。他人の仕事をするときは、自分の仕事を終えて〜にしなければならない。
しかし、世間はそんな事情は知らないから、その力強い推進力を買われて、ある方はコアメンバーをやっている。その方は、自分の趣味の会でも先生の世話係として生きていて、他人のために生きているように見える。才能がある方なのに、人の影で生きている姿を惜しいと感じてしまう。しかしそれはその方の問題であり、私の問題ではないから、時に「惜しい」と漏らすことはあっても、それ以上は言わないようにつとめる。彼女にとっては、今はそうする必要があってしていることなのかもしれない。自分一人で立つというのは、実に勇気のいるものだから、誰かの助手でいることは、力の無い時にはいい形なのかもしれない。
いずれ、助手でいることが息苦しくなったなら、独立すればいいのだから。こうして、意識しないと私は干渉しようとしてしまう。私の脳は管理の必要がある。
:
対象になっている芸術家の方はというと。
これがまたたいへん自分に似ていて、見るに耐えない。
あちこちが綻びている。
その方は、大きな仕事をしてこられた方で、数年前、体(仕事に使う部分)を壊して大きな手術をなさった。その後、元の地位には戻らず、別の形で復帰をなさろうとしている。
復帰の過程でその先生と知り合った私は、個人的にメールなどを交わすようになり、恐ろしい程些細なことに揺れ動いているのを見ることになった。
ある時は機嫌が良く、ある時は不機嫌で尊大になり、ある時は自らを矮小化させ、突然被害妄想を起こし、手のひらを返したように私を攻撃し、「そんなことはない」と私が言い切るまで、あれこれと言ってこられる。
自分に対する評価を事の他気にし、突然「自分は、既に○○には属していません___」といって来られたりする。ということは、○○には属していないが、それでも貴方は自分をそのように素晴らしいと評価するか?と私に訊ねるか、試しているのだろう。確信を得たいのか。
○○には属していないなんて、何年も前から知っている。二年前も、一緒に写真を撮っているし、去年も、つい数ヶ月前も、つい先月も、つい数日前も、会って話しをしている。
しかし、私がいくら言葉を尽くして「あなたは月光の如く素晴らしい芸術を行う。他に類を見ない」と言った所で、なんになるだろう?
私は、芸術家としての輝かしいキャリアも、何もない。
たとえあったとして、どうだろう。
誰かの賛美に依ってしか、自分を定めることができないというのは、なんと暴力的なループに嵌ってしまうことだろうか。
自ら自分を愛し、信じることができなければ、その恐ろしく苦渋に満ちたループから逃れられないだろう。そのループは、不安と混乱、安寧を求める為の欺瞞の間で、自分を信頼するものを裏切り、自分を欺き、綻びを取り繕うのに忙しいだけで、何もかもが闇でしかない。
綻びだらけの衣類を引きずる姿を見せつけられるようで、見ていて遣り切れない。自分も多かれ少なかれ、これに近いのだから。しかし、彼が描き出す芸術は光に満ちている。美しい。
わたしは、その煌びやかなガウンの下の綻びを見てしまっても、それと指摘してはいけないのだ。本人がそれでいいといっているのだから。それでいい。
しかし、病というのは恐ろしい。いつか、やんばる先生が、ジャイアンは(あるいはASは?)自分で病を作って身体症状を悪化させるとどこかに書いておられたが、当時はなんのことか実感がわかなかった。それは、こういうことだったのかもしれないと、腑に落ちた。理解への時間が、私はとても長くかかる。
病は、明確な形となって本人の希望を叶える。
自分は、もう仕事はできない。できそうもないのだ、という我が身への明確な不信。それが顕在化したのが、重い病気という結果なのかもしれない。
怖いと感じるのは、その方がかかった病は、それにかかると今の仕事ができなくなる。致命的な病だということで、一つ去った時点で、二つ目に襲われていることだ。自分で作ってしまうとは、こういうことなのかもしれない。
究極の逃避。
2009
いろんなことがある。
ひろんな人がいて、いろんなことがおこる。
変なのは、自分だけじゃないのだとわかって、
安心することがある。
書類が出せないのは、自分だけじゃなくて、
すごくしっかりしていそうなあの人も、あの人も、出せてないのだと
知って驚いたりほっとしたり。
気持が落ち着いたところで、なにがどうなっていて、
どうするべきか、考えてみる。
届いた書類を、きっちり素早く出すのはAS系の人のような印象を受け、
出さないでいる人は、もちろんADHDだと思うんだけど、
自分が、やってしまわなければ!!と思っている仕事の種類と、
AS系なんだろうなぁ、と思って見ている人が優先させる仕事の種類が
今までは合致しなかったんだけど、
最近、よくよく見てると、その境界が曖昧になって、自分と他の人に、
いったいどれくらい差異があるかなんて、
まったく計りようがない…、としばしば思う。
それで、そんなこと考えてても現実の時間は手のひらから
こぼれ落ちてゆくばかり。仕方がないので、
目の前に書類があるうちに、つまり、手から離れないうちに書いて、
自分の目の前と手の中から無くなれば、
机の上が、書類の棚が、脳の一時メモリが、空く。
するととても頭が楽になるとわかって、
オーバーヘッドが無くなる感じが素敵で。
小さな仕事から、まずは片づけて、
大きな仕事は、小さな仕事が完了した達成感で取り掛かる。
このブログを書きはじめてから、まだ一歩くらいしか進んでない
気がするけど。まずは一歩踏めたことに感謝。
等。
ひろんな人がいて、いろんなことがおこる。
変なのは、自分だけじゃないのだとわかって、
安心することがある。
書類が出せないのは、自分だけじゃなくて、
すごくしっかりしていそうなあの人も、あの人も、出せてないのだと
知って驚いたりほっとしたり。
気持が落ち着いたところで、なにがどうなっていて、
どうするべきか、考えてみる。
届いた書類を、きっちり素早く出すのはAS系の人のような印象を受け、
出さないでいる人は、もちろんADHDだと思うんだけど、
自分が、やってしまわなければ!!と思っている仕事の種類と、
AS系なんだろうなぁ、と思って見ている人が優先させる仕事の種類が
今までは合致しなかったんだけど、
最近、よくよく見てると、その境界が曖昧になって、自分と他の人に、
いったいどれくらい差異があるかなんて、
まったく計りようがない…、としばしば思う。
それで、そんなこと考えてても現実の時間は手のひらから
こぼれ落ちてゆくばかり。仕方がないので、
目の前に書類があるうちに、つまり、手から離れないうちに書いて、
自分の目の前と手の中から無くなれば、
机の上が、書類の棚が、脳の一時メモリが、空く。
するととても頭が楽になるとわかって、
オーバーヘッドが無くなる感じが素敵で。
小さな仕事から、まずは片づけて、
大きな仕事は、小さな仕事が完了した達成感で取り掛かる。
このブログを書きはじめてから、まだ一歩くらいしか進んでない
気がするけど。まずは一歩踏めたことに感謝。
等。
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月の草
性別:
女性
職業:
Dyer
趣味:
健康管理
自己紹介:
考えることが好き。考えることは、自己逃避なのかもしれないし、自己逃避を回避するための手段なのかもしれない。どちらかわからないことを、どうでもいいようなことを毎日するのが人間と、諦めて、その流れにまかせようと、試みる日々。
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